HSPのP子のブログ

日本を飛び出し、息子と二人で台湾に住んでいるP子のブログです。

学校に行けなければ、会社勤めやお勤めができなければ生きていけない?●●しなければ生きていけない?

たぶん「前世やり残したこと」を今生、やっていかなきゃいけないかもな私の周りには

私のドラゴンテイルに星を乗せてくる人がやたら多いですが

息子はドラゴンヘッドに星を乗せてくる人たちとたくさん巡り会っています。

 

ヘッドに星を乗せてくる人たちと遊んでいるときは特に、息子の目がキラキラしているんですよね。 

そういうの見てると、ちょっと羨ましいです。

(ちなみに息子の遊び相手や親しい友達には息子のヘッドに星を乗せない人は誰もいないという・・そういうとこちょっと驚くけど)

 

でもまあドラゴンヘッドに星乗せてくる人ばかりが友人で、そういう人たちと毎日のように遊べてたら、そりゃ興味深深だし何かと楽しいでしょうねww

 

ある意味「とても贅沢な友人関係」を持ち「人生の楽しみ方を知っている」かもな息子です。

 

息子は小学校の不登校のときから、妹(P子の娘)から

「お兄ちゃんは学校に行かなくてニコニコして暮してる・・

あれは不登校じゃないよね。あれ、単なるズル休みなんじゃないの~。

毎日家でニコニコして暮してるやん、何よあれ?」などと言われていました。

(ちなみに娘は非HSP/HSS の上、性格も気も強いタイプ。

群れるのが好きで「より強い集団」に属したいタイプがなぜかとても多い非HSPにとって、HSPが集団に属すことに特に興味がないばかりか、ときに集団に属したくないなどと思っていることについては多分永遠に理解できないと思う。

その辺、お互いに感覚的にどうにも分かり合えないのはまあお互い様なんだけどね^^;)

 

・・世の中「幸せな不登校」ってのも、あるんだなあ・・。

息子を見ていると、そう思います。

 

私も、昔は、普通一般の母親たちと同様、息子の不登校に関しては随分と悩みましたが

「・・うちの息子って、つまり『学校に行かない人』なんだね」

ということで、もうあっさり不登校をそのまま認めちゃって、その上で考えていく、その上で何か対策を立てちゃえば、別に特に問題でもなんでもないんだなーと今は思います。

 

「世間体」を一番に考えるタイプの非HSPの人たちにとってや

「こうでなくてはならない」と考えてしまう人たちにとっては

たぶんこういうのは、信じられないぶっとんだ非常識な考え方なのかもしれませんが

 

「世間体」メインに考えるのではなく

「みんなそうしてるから」なんてことを基準になどせず

「こうでなくては」などと型にはまった考え方を捨て

 

「その子の幸せ」「人の幸せ」「その子が笑顔になれること」等を第一に考えてみると。

 

ムリを通したり、何かを強制したり、どうしても耐えられない事を我慢させ続けるのではなく

 

思い切って視点を変えてみると

物事はとてもシンプルで簡単なものに変わるんだなあ・・と思います。

 

親が無理やり学校に行かせて

子供を追い込んだり鬱にしてしまったり心を歪ませたり

ストレスでいっぱいいっぱいで自殺願望を持たせてしまったりするよりは

家に居させたほうがいいんじゃないかなーと私は思うんですよねー。

 

子供が「家に居たい」というならなおさらね。

 

結局「その子がどうすれば将来できるだけ幸せに生きていけるか」を具体的に考えていくことがとても大事だと思うのです。

 

なぜならもし周りからの圧力で、そういう子が学校に行くようになったとしても

そういう子の場合は

「とりあえず我慢して学校に行くようになったから大丈夫」と考えるのは早過ぎで

たぶん大学や就職等で挫折する可能性も非常に高いと思います。

人の性質なんて、そう変らないものだからです。

 

だからそれなら、「対策」は早めに立てて

「その子の将来のために今何をするか」とか

「どんなことを身につけ、何を学べばいいか」等を具体的に考えていったほうがいいかもと思います。

 

もちろん子供とよく相談した上でね。

 

なぜなら親が考える「幸せの形」と子供が考える「幸せの形」ってけっこうズレてるものみたいだからです。

 

不登校に限らず、他の子供の問題でもたぶん同じかもと思います。

(ただ子供や親が非HSPの場合は、何か「価値観」みたいなものが根本から違っている気がするので私は何とも申し上げられませんし、HSPでもいろいろで一概に言えないとも思うので、その辺は本当に人それぞれですけどね) 

 

「将来この子は社会で生きていけないかも」というのが親としては心配なのであって、そこんとこをクリアできれば、それで問題解決なんですよね。

「その子が将来的に幸せに生きていける方法」を見つけてしまえば

別に特に何も問題ないわけですね。

 

つまり、幸せに生きていく方法が「会社勤め」とかではないだろう場合、そういうの無理な場合は、とっとと他の仕事の方法を考えて準備したほうがいいってことですね。

 

うちの息子の場合もやっぱり「将来の仕事」ですかね。

でも今、息子は「お母さんの占いの仕事を継ぐ」とか「ネットショップの運営をする」などと言って私の仕事をとてもよく手伝ってくれるし(おかげで仕事が前より早くなった)

仕事の空き時間には語学の勉強にも励んでいるので、まあとりあえずはこれでいいんじゃないかなーと思います。

将来息子が店を開きたいなら、それもいいと思います。

 

別に何でもいいんですよね。

本人がちゃんとご飯が食べれて、人間としてのプライドが満たされて、無理なく元気に毎日生きていければそれでいいんです。

 

逆に言えば

勉強ができても、いい学校に通えても、いい会社に就職できても、高い社会的地位が得られても

本人が「元気に幸せに生きていく方法」を見つけられなければきっと不幸ですよね・・

 

世間的には

「不登校」ってとても悪いことで、世間体悪くて、友達いなくて、孤独で可哀想で

学校に行かないなんて「悪」、とかそういうふうに世間では思われているような気がするのですが

息子を見ていると毎日ニコニコ楽しそうだし

学校に行かないのも別に悪いことなんかではないしね。

(日本国憲法の「教育の義務」というのは親が子供を労働力として利用し教育の機会を与えないことがいけないという意味で、学校に行きたくない子供を無理やりに行かせる義務があるという意味ではない。勘違いしている人がとても多いけどね)

 

学校に不適応ならば、会社勤めも不適応になる可能性が高いでしょうが

それなら自宅で自営業すればいいと思うし、海外に出て住んだり仕事したりとかすればいいのですね。

海外だと学校に行かず「ホームスクーリング」みたいなのやってる人もいるし

日本みたいに人の目がうるさくないので不登校でも外に出てノビノビできますね。

 

「会社勤めやお勤めができなければ生きていけない」

「●●しなければ生きていけない」

などと私たちは教育されてきたし、私もそう思いこんでいました。

それらがどうにも自分にはできなかったので若い頃は絶望してましたが、

世間の「思い込み」や「大衆の操作」「プロパガンダ」どおりに思い込んでしまうことは非常に危険なことだと思います。

(プロパガンダはプロパガンダだと意識させない思わせないで自然にそれが常識と思わせてしまうのが最高のプロパガンダ)

 

大衆操作やプロパガンダって、とても罪が深い、と私は思いますが

それらを見抜くこと、世間でまことしやかに言われているいろいろな事を真に受けてしまわないことも、とても大事だなあと思います。

 

そしてそんなことを信じて自分の可能性と個性を否定し

自分で自分を踏みにじり、むざむざ捨ててしまうようなことをするのは

あまりにも早計過ぎるかも・・と思います。