六芒星のできる相性。でも人との相性を活かすのも、それをしないのも、どちらも本人が選び取ること
私と息子とは相性チャートで、六芒星の一辺欠け落ちのできる相性になります。
六芒星の一辺欠け落ちに加え、ヨードとブーメランとミスティックレクタングルとカイト、あとTクロスが3つできるというあんまり見たことがない配置です。(まあ六芒星ならミスティックとカイトは内蔵されているもんだけど、ヨードと月のTクロスがキッツイわ)
「うーんこれ具体的に二人でどう使っていこうかな」「相性でこれって何かちょっと怖いかも・・注意が必要かも」という感じの相性チャートです。
自分のことなら自分の行動次第で何とかできても、相手がいることだと、相手次第な面があるのでまた別ですよね。
そこが人間同士の相性の面白いところでもあるし、怖いところでもあります。
さらに月は海王星・土星のTクロスに巻き込まれていて、相性チャートとしてはかなり傷んでいて、普段の生活を上手くやっていくにはいろいろ工夫が必要になってくる相性でもあります。
息子が「私と暮したい」「日本には居場所がない」と言うので、今後、また一緒に暮らすことにしていますが(息子の配置では日本では微妙な上に父親運も悪過ぎなのでそう思うのは当然だけど)
今後、また一緒に暮らしていくならば「この相性を、私たちはどう使っていくよ??」と息子と一緒に仕事の後、毎晩のように話し合っています。
相性の方向性とかお互いの役割とか、一応のことは息子に納得させ確認させておかないと、また前回みたいに共倒れになったり、息子に日本に戻ってもらうことになるだろうからです。
今、息子に西洋占星術の鑑定書作りを手伝わせているので、息子にも星の配置のことがある程度理解できているようなので、とにかく説明だけはしています。
(それがどこまできちんと伝わっているかはわからないけれど)
相性の場合は、2人とか3人とか、人が一緒にいて関わり合うことで、どんなことができるかや方向性や傾向が発生します。
そして相性なので、どちらか一方がそこから「去れば」「関係を終わらせれば」お互い関わらなければ、その力が消えてしまったり、使えなくなるものでもあります。
相性を活かすも殺すも、その関係を続けるのも、
そこから降りて関係を終わらせるのも、本人たちの意思次第とも言えます。
六芒星の一辺欠け落ちと、ヨード、ブーメラン、あとTクロスが3つもできてそれが月と絡むとなると、
確かに使いようによってはいろいろなことができる相性だなあと思いますが、私生活とも絡むので、毎日のことなので、これをどう活かすか、お互いの話し合いとお互いの妥協と努力も、かなり必要になってきます。
そこのところをお互い自覚する必要があり、それがないと難しい相性は本当に難しいと思います^^;
私はもともと自分のネイタルチャートが非常に難解で矛盾が多くさっぱりわからず、そしていくら西洋占星術の占い師の方々の鑑定を受けてみても、自分のチャートの全体の意味がどうも統合されておらずどうにもしっくり来なかったし、納得もできませんでした。
「・・誰に聞いても良くわからないとなると自分で勉強するしかなさそう・・」と聞くのをあきらめ、腹を括り、自分で長いこといろいろ、20年以上もコツコツ勉強し続けているうちに、いつの間にかプロになってしまったわけですが
それだけ「なかなかわかりにくい」「難解な」ネイタルチャートもちだったわけです。
やっと読み解けるようになったときにはプロになってしまうほど「ものすごくわかりにくい」チャートかもなわけで、現在も私の事を本当の意味で理解できる人は誰もいないだろうし、家族にも周りにもいろんな意味で誤解されまくりの毎日です。
もしろんできることはやりますがなんかもうメンドクサイのでやらないこともあります^^;
私の場合は仕事が忙しいので仕事と兼ねてやる方法しかないと思っています。
確かに、若い頃もかなりいろいろあったほうだし、40過ぎて初めての海外旅行で海外移住を決定し、結局そこに住み着いちゃったりして。
現地の言葉もろくにできないのに、海外に(と言っても日本から一番近い海外でおまけに親日なので暮らしやすい台湾だけどさ)、息子(16歳)と一緒に毎日仕事しながら、二人で暮しているわけですが
でもこんな生活や人生は、いわゆる「常識的」「一般的」な考え方をする方たちから見ると「なかなか理解しがたい人生」「なんだかよくわかりにくい生活」「ちょっと普通とは違う変った人生」なのかもしれないなあと思います。
だから確かにこんな人生、ホロスコープからそう簡単に読み解けるわけもないとも思います^^;
まだ自分がプロではなかった頃、占ってもらった数々の占い師の方々から、私のホロスコープはかなりボロくそに言われ続けてきました。(そういう経験をされた人は私だけでなくけっこう多いみたいね・・)
そのたびに「・・なんでそこまでボロくそに言うわけ???」といつも疑問に思っていましたが
それはきっと「良くわからないから」
そして「日本でいわゆる普通に生きていくには、確かにかなり活かしにくい配置かもだから」なのかもしれないと思います。
日本ではたぶんかなり使いづらいと思われる配置が私にはたくさんあります。
それはすなわち「日本での生活では自分らしく生きられないし、やたらと苦労が多いかも」ということでもあります。
でも「合わない」と感じると言うことは
「別にもっと合う所がある可能性があり、そのことを自分でどこかで感覚として感じ取っているから、わかっているからこそ合わないと思う」とも言えます。
「みんな同じに足並み揃えて無難に」を言外に求められ、建前と本音が乖離し
「非言語の縛り」が多く「毎日なぜかどこか軍隊?ぽい」日本では
ドラゴンテイルやハードアスペクトが多い配置は、確かにかなり活かしにくく、幸せにはなりにくい配置だよなあ・・と思います。
ところで。
人間同士の相性の話に戻りますが、今は日本に戻っちゃった娘ですが、
娘と、娘が台湾で非常にお世話になったある先生とは、形の整ったとても綺麗な見事な六芒星一辺欠け落ちができる相性でした。
六芒星一辺欠け落ちは六芒星に準じるといわれていますね。
<関連記事>◆娘がお世話になっている先生と娘とは、コンポジットでキレイな六芒星一辺欠け落ち
その先生と娘は、確かに二人でいるとなんだかとても目立っていたし(もちろん良い意味で)、それなりに「やらなきゃいけないこと」もあったようで
「学校の特色」とか「学校の顔」として活躍したり(娘が浴衣を着てクラス写真撮影し市に紹介されたり)
また高校進学についても、その先生が非常にやり手の先生で、なんと娘のために中学・高校の校長にかけあって、地元の公立高校に新しく「娘が公立高校に通うための枠」まで新設して下さるという話まで進めて下さっていて
それはスゴイ話でビックリしたし、非常に有難いお話でもあるので、親として私もとても感謝していましたし恐縮もしていましたが、なぜか本人(娘)が非常に嫌がっていました。
(娘は台湾で自分が「特別扱い」をされるのがどうしてもイヤだったそうです)
でも娘は「イヤだ」と思っても、娘の意思は通らず、先生にその話を断ることもできず、本人は非常に悩み、結局それをキッカケに日本に戻ってしまいました。
(他にも海外で学校に通うことで悩みは尽きなかったみたいだけど、そのことが「ダメ押し」になってしまった感じ)
「あまりにも良い、ありがたい話」だったため、相手を納得させられるような断る理由さえ見つからないわけですね。
六芒星は「社会的に何かの立場や役目があるが、そこにはまるとそこから降りることができない」配置とも言われていますが、「まさにそのとおり」の状況だったわけですね。
六芒星ができる場合、何らかの社会の要請や義務等が発生し、それなりの立場が与えられ目立ったりもするので、そういう意味では恵まれている部分もあるのかもしれないけれど
「個人の都合や気持ちや意思なんて、そんなの知ったこっちゃ~ありませんよ」状態になるかもな配置なわけですね。
それだけに、確かに「六芒星は(本人たちにとっては)非常に重い」ものなのかもしれません。
特にそういう立場を本人が望んでいない、嫌がっている場合はそうでしょう。
ネイタルに六芒星がある有名人と言えば、ダライラマや昭和天皇ですけど
小向美奈子さんや小保方さんにもあるみたいなので
いいんだか悪いんだか・・両極端でなんだかビミョーな感じですよね^^;
(星の配置は良い悪いの問題ではないのかもしれないけど)
ダライラマや昭和天皇の仕事や生活は、かなり縛りがキツそうだし、立場があり過ぎて、ある意味けっこう過酷そうです。
ああいう人たちは、何年も先まで毎日がスケジュールですでにしっかり決められていますよね。病気もできません。
でも「そういうもんだ」と達観し受け入れ、「御勤め」を淡々とこなされていらっしゃったような・・そんな感じでしょうか。
一方、小向さんや小保方さんのように世間から妙に注目され、えらく持ち上げられたかと思うと、いきなりドーンとドン底まで突き落とされたりと血祭り?に上げられるのは、かな~り相当しんどそうな感じですよね(汗)
お二人に共通するイメージとしては、周りの男性たちにもてはやされ担ぎ出され、みんなでワイワイ、お御輿に乗せられてた女性、みたいなイメージがあります。
周りに担がれて乗せられ煽られて自分を見失ってしまうと怖い感じ?
六芒星の場合、持ち上げられたとしても、ちょっと「冷めた」感じで、自分を見失わず、地に足をつけ淡々とマジメに何かをやり続けていく必要がありそうな。
何か地に足のついた「しっかりしたお神輿」でない場合はもしかしたら、かなり危険な意味に暗転してしまうのかもしれないなあ・・などと思ったりします。
派手だと結局ムリが来るような気もするので、どちらかというと「ヒッソリ地味に淡々と」または「人の手が届かない所」などの意味に使ったほうが良さそうな気もします。
まあ、どちらにしてもネイタルに六芒星がある人たちは「生まれつき」で「持って産まれた配置」なので、個人の意思では「選べないかも」なわけですね。
でも娘の場合は、ネイタルにあるわけではなく、その先生との「相性」によってできる六芒星一辺欠け落ち。
ですから、娘がその先生から離れれば、その美しい六芒星一辺欠け落ちも消滅してしまうわけです。
社会でそれなりの「立場」「役割」みたいなものがあり、個人の都合など無視される六芒星の相性。
あれよあれよと言う間に何か上へ上へと上らされてしまうような。
周りから固められてしまうように立場が決まり、そしてそこから降りることができなくなるような。
私は娘を間近で見ていて、その「六芒星パワー」の凄まじさを感じました。
娘と先生ほど美しい形ではありませんが、私と息子との相性チャートにも六芒星の一辺欠け落ちがあります。
息子ですが、小学校高学年から不登校で、中学、そして合格した進学校(おまけに特別進学クラスのため授業料免除なのに)不登校です。
頭は悪くないのに、もったいない話です。
でもそれだけに。
息子は高校にも通わず、私と異国で暮らすわけですが
もしこの先何かしらの形で息子が海外で小さくてもいいから何かしら「成功」しなければ、「幸せ」になることができなければ、
ただの「笑いもの」になってしまうかも?なわけですね。(シビアに見ればそうですよね)
私が息子と一緒にいれば、六芒星ができますが、そう言うわけで、そのプレッシャーは大きいです。
大げさに言えば、私と息子は、一緒に居る限り、「全国の不登校児の星」「HSPの星」みたいな立場で、幸せや成功の道を歩むか
「日本がイヤだと海外に行っちゃったアホ親子」の、どちらかになるかもで^^;
そういう意味では、けっこう明暗が分かれると言うか両極端なのかもしれません笑。
だから私たちは、どうしても幸せにならないといけないかも、なわけですね。
(まあ今の状態でもそこそこ幸せは幸せだけどさ)
そして私は西洋占星術師で、それを生業としているわけで。
息子との相性をこの先、上手く使えなかった場合は、今後の占星術師としての未来までが微妙になってきそうな・・^^;
だから息子と幸せになるしかないわけです。(息子が私と一緒にいたい限りはね)
まあでも今も一緒に昼は鑑定書作り、夜は音楽酒場行ったり二人で遊びに出かけたりしていて、けっこう幸せに暮らしているっちゃそうかもですけど。
でも「これだけでいいのかなあ・・・」と感じてしまうものが何かあります。
息子は私と居たがっていますが、私はひとりの時間も欲しいたち。
息子は月ドラゴンヘッド合で「お母さんに大注目」してくるタイプ。
私にベッタリ来るので、「自分の心身がもつかなあ・・」という気がしています。
正直、息子には店でも持たせて、できるだけ早く私の元から独立して欲しいもんだなあと思っています。
若い頃から、「日本が合わない」「何かヘンだ」と違和感を感じ、ホロスコープやアストロマップでもそう示されているのを見て、自分の「感覚」を「確信」にかえ、こうして今、私は海外で生活しているわけですが
台湾では、日本で感じていたような妙な特殊な縛りやストレスは少なく、そういう意味では今、やっと幸せに暮らせるようになったわけですが
息子が来たのでボヤボヤしていられなくなりました。
息子との相性チャートの使い方については、毎晩のように、息子と話し合いをしています。
息子の希望としては
「台湾でこじんまりとした店を開きたい。あんまりあくせく働きたくないんだよね、ボク。のんびり働いて幸せに暮したい」という非常にささやかな夢^^;
・・まあそれならそれでもいいんですけどね。
もしかしたらそれが「息子にとっての幸せ」なのかもしれないし。
確かに地道に無理なくのんびり続けたほうが長続きしていいしね。
息子と一緒に暮らせるのは、確かに1人よりも楽しいし、幸せなことでもありますが
六芒星一辺欠け落ちとブーメラン、月がTクロスで傷んでいるので、決してラクな相性ではないです。
娘は先生との六芒星を放棄しました。
それはそれで、娘の選択なので、娘の人生なので、それで良いと思います。
もしかしたら放棄することも大切なのかもしれないからです。
なぜなら六芒星とは「社会の要請」で動くことになり、そこに個人の自由はなくなる配置と言われているからです。
だからそれを本人が「望んでいない」場合は非常に酷なことになります。
私と息子の場合、息子が「私と居たい」と望むならば、
確かにちょっと負担は感じるけれど、私はこの六芒星から逃げず、六芒星を活かす方法を息子と考え、息子と一緒にコツコツ地に足つけて、ゆっくり、けれども確実に一歩一歩行動していこうと考えています。
親子とはほとんど「修行」みたいなものですね。